【第4回】お水取りは笠置から(天平時代)

 関西に春の訪れを告げる「東大寺お水取り」
 一般には「お水取り」や「お松明(おたいまつ)」で有名ですが、この法要は「修二会(しゅにえ)」といい、内容は11名の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれるお坊さんが、私たちに代わって、日頃の過ちを十一面観音さまに悔い改め、今後の平安を祈ってくださる、「十一面観音悔過法(じゅういちめんけかほう)」というお勤めです。

 前回お話しさせていただきました、弥勒菩薩の兜率天への入口としての笠置山千手窟(かさぎやませんじゅくつ)は「笠置の龍穴(かさぎのりゅうけつ)」と呼ばれ、国家の平穏のために聖武天皇によって発願された、全国への国分寺・国分尼寺の建立と、その中心「総国分寺」としての東大寺・大仏の建立を担われた良弁和上(ろうべんわじょう)が、一大事業の完成を願い、「千手の秘法」をお勤めされたのでした。

 大仏殿建立のための木材を甲賀や伊賀で調達した良弁和上が千手の秘法をお勤めされると、龍穴の奥より現れた龍神が天へ昇り雨を降らせて川の水を増やし、雷神が雷によって川の岩を打ち砕き、木材は無事に奈良へと運ばれたと伝えられています。

 そして、良弁和上には実忠(じっちゅう)という弟子がおられました。
 実忠和上は師である良弁和上がお勤めをされた龍穴に入り、ここから兜率天へと辿り着き、常念観音院という寺院で行われていた十一面観音悔過法を目にして「私が人間世界でお勤めしたいので修法をお教えいただきたい」と懇願し、学んで人間世界に戻り、752年に正月堂を建立。この修法を笠置山正月堂で勤められました。

 実忠和上は翌月の2月、この修法の場を東大寺に移してお勤めされたのですが、これが今日まで連綿と引き継がれる東大寺修二会(通称お水取り)で、笠置山がお水取り発祥の地といわれるゆえんです。

これ以降、笠置山は南都の寺院との縁によって境内が整備され、49ヶ寺とも伝えられる多くの寺院が山内に建立され隆盛となりましたが、これがのちの災禍を招くことともなったのです。

次回は「原点回帰」をお話しします。