【第2回】笠置山の地名について(飛鳥時代)

 「笠置山」という地名。
 検索すると、当地以外にも同じ地名が、
 ・新潟県 十日町市・南魚沼市
 ・和歌山県 古座川町
 ・岐阜県 恵那市・中津川市
 ・福岡県 飯塚市・若宮市
 ・宮崎県 宮崎市(読みは「かさごやま」)
と、5カ所が確認されました。

 当地 笠置山の由来を『笠置寺縁起』(1482年作)に探ると、
 671年、天智天皇の皇子が鹿狩りに来山された時、乗っていた馬が巨石の上から落下しそうになりました。
皇子は馬上で「お助けいただいたならば御恩返しとして、この大岩に仏(弥勒菩薩)を刻みます」と山の神に祈り、難を逃れることができたそうです。そこで、この地に再び訪れる時の目印として頭上の笠を岩の上に置かれたことから、この岩は「笠置き石(かさおきいし)」と呼ばれ、これが笠置の地名の元だといわれています。

 では、他県の笠置山はどうでしょう?
 現在のところ新潟県と和歌山県・宮崎県については不明ですが、岐阜県の笠置山については、10世紀に第65代 花山天皇が彼の地の山をご覧になり「この山は都に近い笠置山に似ている」ともうされ、以来、笠置山と呼ばれるようになったと伝えられています。
 また、福岡県の笠置山については、関西の笠置山周辺(奈良を中心に)と同じような地名が、同じような位置関係で見られ、大和説・九州説の邪馬台国論争とも関連するようです。(クロスロードふくおかHPに掲載されています)https://www.crossroadfukuoka.jp/downloads/media/11784.pdf

 地名一つにも、いろいろな謎が秘められているようですね。

次回は「弥勒磨崖仏について」をお話しします。